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君主論   

君主論とは「君主は法」という考えである。

マキャベリが考えた為マキャベリズムという。

君主論が世に出るよりもずっと前にその思想を説いたのが

中国戦国時代燕の韓非子である。始皇帝はかれの考えをもとに政治を行った。

要するに君主である始皇帝の考えが全てで有ると言う完全な独裁主義。

強力な政権で有ったが一代で終わる。

始皇帝の造った秦の後に続く楚漢戦争で戦った項羽と劉邦。

二人には大きな違いが有った。

項羽は戦った相手を完全に叩きのめし降伏しても許さなかった。

人民に対しても容赦が無かった。劉邦は敗戦相手にも緩い情のある扱いをした。

結果はご存じのとおりである。

信長は自分に歯向かうものにはやはり容赦無かった。

カルタゴのハンニバルの戦い方も戦法は後世に称賛されるが

対戦相手には極めて過酷な対応をした。

彼は優秀な将軍だったが最後は国を追われ亡命国で悲劇的な末路をたどることになる。
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by asukai-inchou | 2011-06-11 08:01 | 古代を覗き見

カルタゴとローマ   

以前にも書いたように 

北アフリカ(現在のチュニジア)に有った海の民フェニキア人の造ったカルタゴは

強大な貿易国家であり経済大国であった。 

敗戦敗戦を繰り返し多大な損害賠償金を抱えながら瞬く間に不死鳥のようによみがえってくる。

その返済力は目を見張るものであったそうだ。

ローマはカルタゴに続いて勢力を伸ばしてきた国で地中海の覇権争いで

じわじわとカルタゴはローマにその勢力圏を奪われてきた。

現在カルタゴの遺跡はあまり無い。そこまでローマによって無きものとされた。

カルタゴとローマは大きな軍事的違いが有る。

カルタゴは良く言えばシビリアンコントロール(文民統制)が利いていた。

要するに軍隊が勝手に動かないように統帥権を将軍に持たせなかったことである。

方針を決め実行するときには政府の了解を取り付けなければいけない。

ローマはここが現場の将軍に全ての采配を任せたことで有る。

文民統制は軍が独自に突っ走らないように歯止めにはなるが優秀な将軍が軍を率いているときは

ブレーキになりせっかくの戦略が台無しになる。

これがハンニバルがローマにもう一歩と言うところまで迫ったにもかかわらず決め手が無く

国に戻った理由で有る。

カルタゴは更に文民統制しながら戦勝をあげなければその罰則は厳しいものであった。

ローマは逆に現場に任せながら敗戦の将にもねぎらい次のチャンスを与えたようだ。
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by asukai-inchou | 2011-06-11 07:36 | 古代を覗き見